紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 446
盛岡城・二ノ丸〜櫻山神社
Hitosh
本丸より榊山曲輪 |
本丸跡より西側、榊山曲輪跡方面を臨む。 本丸は、二ノ丸、榊山曲輪、淡路丸、腰曲輪で囲まれていた。 |
二の丸 |
本丸跡より朱塗りの廊下橋を渡り、二ノ丸に向かう。 本丸と二ノ丸の間は空堀となっており、当時は屋根付きの渡り廊下があり、 「御廊下橋」と呼ばれていた。 |
啄木歌碑 二ノ丸には、金田一京助揮毫の石川啄木歌碑がある。 「不来方(こずかた)の お城の草に 寝ころびて 空に吸われし 十五の心」 と刻まれてあった。 石川啄木は岩手県日戸村(現盛岡市玉山区日戸)の常光寺の住職の長男として、明治17年に生まれ、地元の盛岡中学(現盛岡一高)で学んでいる。 |
櫻山神社 |
二ノ丸から三ノ丸跡にある櫻山神社に入る もと八幡社のあったところで、その傍らに三角状の岩があった。 この場所の高さが二ノ丸とほぼ同じ高さであったので、低くする為に、 三角岩の周囲が削られた。 すると、岩の根は深く、烏帽子に似た高さ2丈(6.7m)もある岩石が出現した。 この場所が、城内の祖神の神域であったことから、宝大石とされ、 南部藩盛岡のお守り岩として崇敬されてきた。 写真右端にあるのがその烏帽子岩である。 なお、櫻山神社の創建は寛延2年(1749年)で、当時の藩主南部利視が、 初代南部信直の功績を讃え社殿を建立したのが始まりてある。 当初は、盛岡城の淡路丸にあったので「淡路大明神」と称していたが、 文化9年(1812年)、付近にあった桜の木に因んで櫻山神社と改称されている。 明治維新になって盛岡城が廃城となると、一時他の場所へ移転したが、 太平洋戦争後に、現在地に遷座されたとのことである。 |
櫻山神社烏帽子岩 階段を登り、烏帽子岩の側まで行ってみる。圧倒されるほどの巨石であった。 |
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