紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 485
岩手町・沼宮内宿〜沼宮内城跡


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岩手町


沼宮内城口

沼宮内宿の出口を出て、北上川に沿って右側に右折する道がある。
かつての沼宮内城跡へ続く道である。

北上川の北側は地名が沼宮内から五日市となるところだ。



沼宮内城跡、北上川

丁字路を右に曲がると、正面に小高い山が見えてきた。
中世の沼宮内城のあった処で、現在は城山公園となっている。

中世の沼宮内氏の居城で、西に北上川(写真左側の川)、
南に大坊川(前述)に守られた城であった。

沼宮内氏は、文治5年(1192年)、
源頼朝の奥州合戦の際戦功のあった相模国河村氏の一族であったようだ。

室町時代には沼宮内民部常利と、その子である治部春秀が南部氏に従属。

天正19年(1591年)の九戸政実の乱の際、
九戸方の一戸政直(平館城主)に攻略される。

又、秀吉の命令で、九戸城攻撃に向かう5万千人の大軍が駐屯し、
浅野長政、蒲生氏郷などの諸将と南部信直とが、
この城で軍議を開いたという。

天正20年(1592年)に廃城となる。

石塔群
  街道右側にある石塔群。中央右が金毘羅宮、左が大製麺金剛と刻まれてあった。この坂の上には、金毘羅宮神社のあるところである。
  江戸時代各地で、金毘羅講が組織され、金毘羅詣りが盛んになっているが、岩手のこの辺でも講が出来ていたようだ。
  この頃、金毘羅詣りは、伊勢神宮への御蔭詣りに次ぐ庶民の憧れであったようだ。


北上川

旧街道は、沼宮内城跡の左側(西側)の北上川沿いを北上する。
雪が未だ融けずに残っていた。

右側の道路は野田沼宮内街道(県道281号線)である。

三陸海岸北部の野田と沼宮内を結ぶ道路で、八戸藩久慈通や、
盛岡藩野田通の塩釜で作られた塩が、南部牛方と呼ばれる行商人によって運ばれ、
塩の道とも呼ばれていた。



東北新幹線

国道4号線に合流する。
東京から572.7kmのところだ。

この先で、東北新幹線のガードを潜る。
左側のIGR銀河鉄道と国道4号線を跨ぐ形となっている。


(岩手町沼宮内、五日市、沼宮内)
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歩行略図
岩手町・JR沼宮内駅〜沼宮内宿〜沼宮内城址〜IGR御堂駅



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