紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 508
一戸町小鳥谷・川底の道〜高屋敷


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一戸町


旧奥州街道、川底の道

手書きで書かれた「奥州街道、川底一里塚入口」の案内標識に従い、
川底の道を南に進んでみる。

急な坂を登ると、巾の狭い落ち葉に蔽われた、如何にも旧街道らしい道が続いていた。


川底石塔群
  旧街道が山の峰に沿って右に曲がるところに庚申塔と二十三夜塔が寄り添うように、一体の石で造られてあった。
  説明板には、「むらの氏神さま、庚申塚(二十三夜)と書かれてある。ここの住所は高屋敷158−1で、所有者(別当)平野忠雄と書いてあった。
高屋敷道標
  川底の道をUターンし、元来た道に戻り、高屋敷集落の方へ向かうと、左側に奥州街道の案内標識が建てられてあった。
  「国指定史跡奥州街道、一戸町。左 川底一里塚、右 五月舘(さつきだて)の追分石」と記されてあった。


高屋敷・上の井戸

左側山裾に、高屋敷・上の井戸がある。
高屋敷集落の南側入口にあり、深さは浅いものの当時は重要な井戸であった。

浅い為に、釣る瓶の代わりに、柄の長い柄杓で、直に汲み上げていたようだ。

個人の所有と見え、所有者の名前が掲示されてある。


駒形神社
  高屋敷上ノ井戸の傍らには、同じ所有者の小さな駒形神社が建立されてあった。石の祠の中には、また小さな馬の石像が祀られてあった。


高屋敷集落

高屋敷の集落に入る。
と言っても、街道沿いの家は、現代風の家並みであった。

この高屋敷集落の左側(西側)には、古屋敷がある。
そして、この道を北上すると、IGR小鳥谷駅付近が中屋敷となっている。

古屋敷(ふるやしき)は、古い屋敷跡ではなく、アイヌ語が語源で、
川沿いの谷間、又は緩やかな傾斜地にある丘の意味のようだ。

ここに湧き水があれば、集落が出来るのは当然ということのようだ。
因みに、この辺の標高は206mであった。


(一戸町小鳥谷 川底 高屋敷)
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歩行略図
一戸町・高屋敷〜IGR小鳥谷駅〜女鹿口〜IGR一戸駅



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