紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 535
二戸市福岡・八幡平〜福岡宿入口
Hitosh
松ノ丸石塔群 街道右側の松ノ丸方面への分岐にある石塔群。文化年間(1804〜1818)の馬頭観世音と廿三夜塔が肩を寄せ合うように建っている。 |
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祖霊社 神葬墓地・祖霊社である。この裏の墓地には元南部藩士で、日本物理学の創始者田中舘愛橘(後述)、岩手県初の公選知事となった國分譲吉の墓が並んで建っている。 |
93福岡宿入口丁字路 |
急な坂、久府坂をくだると、丁字路となる。 ここを右折すると、旧奥州街道93番目の宿場福岡宿である。 前方の建物の裏(北西側)は馬淵川だ。 福岡宿は、馬淵川の右岸に発達した町である。 なお、昨夜泊まった二戸パークホテルは、この道を左折して280mのところにある。 |
橋場追分道標 丁字路の角にある道標と案内標識。右の古い石造の道標には「末の松山浪打峠 従是二十丁」と刻まれてあった。 |
中央の標識には「久府坂と街道分起点」とある。 説明によると、天正19年(1591年)の九戸の乱の後、九戸城は蒲生氏郷が修築し、 三戸の南部信直の居城として払い下げられた。 これを契機に、地名「宮野」を「福岡」に改め、信直は家臣団を引き連れて移ってきた。 その家臣団は前述の在府小路に住んだとのことだ。 左側の石造りの道標には「左 一戸道、右 浄法寺」と刻まれてあった。 浄法寺は、鹿角街道(県道6号)沿いにある旧町で、 漆の生産量日本一で知られたところだ。 現在の地名は二戸市浄法寺となっている。 |
福岡宿町並み |
丁字路を右折すると福岡五日町である。 家並みの背後を馬淵川が流れているところで、商人の町であった。 写真左は、食料品を扱っている奥清商店のようだ。 なお、道路を挟んで反対側(写真右側)は九戸城跡のあるところである。 |
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