紀行写真集



福山街道 3
松前町・福山城(松前城)


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福山城郭

松前城下通りから、
沖之口坂を上ったところに福山城郭(平山城)がある。

福山城は、松前湾に近い海岸段丘の上に、
慶長11年(1606年)松前崇広が築いた福山舘が前身だ。

幕末、蝦夷地の近海に緒外国の船が出没し始めたため、
幕府の命を受け、13代藩主松前崇広が
北辺警備のための本格的城郭を築き、安政元年(1854年)に、
福山館を利用拡大させた福山城(松前城とも呼ぶ)を完成させた。

本丸、二ノ丸、三の丸、6つの櫓、16の城門、
7つの砲台と25門の大砲を備えた堅固な城で、
長崎県五島市の石田城と並び、
日本に於ける最後期の日本式城郭であった。



福山城、二重太鼓櫓跡

松前城下と津軽海峡を望むところにある、
福山城、二重太鼓櫓跡だ。

二ノ丸南東隅にあり、城内三ヵ所ある二重櫓のうち、
敵の侵入を監視するうえで、最も重要位置にあって、
海上はもとより海岸線、市街地、三ノ丸と
広範囲に見わたすことが出来た。

平時は太鼓を打ち、時を知らせる役割りを担っていた。

津軽海峡を挟んで対岸は、津軽半島である。



福山城天守閣

福山城の天守閣が見えた。

昭和24年、松前町役場の火事による飛び火で
天守閣と本丸御門東塀は焼失。

現在の天守閣は、
昭和35年に鉄筋コンクリート造りで再建されたもので、
松前城資料館となっている。

屋根の上の鯱は、高さ1.35mで金箔を貼りつけたものである。



福山城搦手二ノ門

福山城搦手二ノ門。
東側から城内に通じる搦手にあった門の一つ。

明治元年、蝦夷地に独立政権樹立を目指す
旧幕府の榎元武揚を首領とする軍勢は、
官軍の拠点となった函館・五稜郭を制圧した後、
新選組の土方歳三が700名程を率いて、福山城を攻撃した。

その際、大手門は堅固であったので、
防御力の弱い搦手方から攻め、落城させた。



松前城資料館正面入口

松前(福山)城資料館正面入り口である。

この先に、本丸(松前城資料館)と
本丸御門(国重要文化財)、本丸表御殿玄関(北海道有形文化財)がある。

なお冬季の12/11~4/9までは閉館となっている。


(松前町 松城)
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