紀行写真集



福山街道 5
松前町寺町・法源寺~法幢寺


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法源寺山門

福山城、北ノ丸の北側一帯は、
寺町として北海道遺産にも指定されているところだ。

福山城建設の際、城の北側の守り、鬼門(北東)に対しての
仏の加護を求めるように配置された15の寺院からなっていた。

しかし、戊辰戦争でその多くが焼失して、
現在は松前家の菩提寺である法幢寺(ほうどうじ)や、
法源寺等5つの寺が残されているだけであるが、
今でも近世的な寺町の雰囲気を残しているところである。

写真の曹洞宗法源寺は、若狭の僧傳心が
松前氏の始祖武田信廣を訪ねる航海中に奥尻島に漂着し、
その地で文明元年(1469年)に庵を結んだのが始まりとのこと。

その後、福山城下に寺地を移したものである。

国指定重要文化財に指定されている山門は
17世紀中期の建築で、北海道で最古のものである。



松前藩主松前家墓所

寺町をさらに北へ行くと、
松前藩主である松前家の墓所がある法幢寺がある。

右側の標柱には「国指定史跡 松前藩主松前家墓所」書かれてあった。

文明2年(1470年)、若狭の宗源和尚が大館に開創した寺を、
天文15年(1546年)、松前家3代義広、4代季広が再興し、
松前家の菩提寺としたものだ。



法幢寺山門

大洞山曹洞宗、法幢寺の山門は、
天保9年(1838年)に再建されたもの。

山門潜った本堂左手にある御霊屋(みたまや)には、
歴代藩主の位牌が安置されている。

なお、讒言により流刑となり首をはねられた
「門昌庵事件」の柏厳和尚はこの寺の住職であった。



松前家墓所入口

史跡に指定されている、松前藩主松前家の墓所である。

右側の大きな木は、松前の大欅記念保護樹木となっている。
この欅は墓所開設の際に、
菩提樹として植えられたと伝えられているものだ。

樹齢370年以上、直径180cmとのことである。



松前家墓碑

松前家墓所の中に入ると、
石造りの小さな堂に入った墓など多くの墓碑がある。

松前家の初代信廣から歴代藩主や、
その家族などの55基の墓である。

墓所内の案内板には、
松前家系譜(墓所内関係分)が分かり易く説明されてあった。

初代信廣から19代修廣(子爵家)までの家系譜である。
正室の他、側室までも記録されていた。


(松前町 松城)
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