紀行写真集
福山街道 19
函館市・宝来町~十字街
Hitosh
高田屋嘉兵衛立像 |
函館護国神社より護国神社坂(高田屋通)を下っていくと、 函館山を背にして高田屋嘉兵衛像が建っている。 司馬遼太郎の「菜の花の沖」の主人公としても知られた 高田屋嘉兵衛は、淡路島生まれの船持ち船頭で、 江戸後期(関西年)函館に入り、交易を始めた その後、江戸幕府の依頼で、択捉航路を開き、 函館の北洋漁業の基礎を築いた功労者で、 幕府より名字帯刀を許された豪商だ。 白御影石の台座の上に立つ銅像は、 ブロヴニン事件で、幕府の代理人として ロシア軍艦「ジャーナ」へ乗り込んだ際の正装した姿である。 7月下旬には函館で 毎年高田屋嘉兵衛祭りが開催されている、 |
宝来町町並 |
宝来町の街並み。 大正から昭和にかけての蓬莱町(現在の宝来町)は、 電車通りをはさんで多くの料亭や見番、 人力車屋、質屋、下駄屋などが立ち並ぶ華やかな街であった。 見番は、料亭から依頼を受け、 置屋に芸者の手配をする仲介所のことだ。 右は、料亭富茂登(ふもと)で、元芸者であった初代尾形京子氏が、 おでん屋を始めたのが始まりとのこと。 店の名前は、「酒は涙か溜息か」の根室出身の作詞家、 高橋掬太郎の命名による。 箱館山の麓(ふもと)から字画を選んで冨茂登と名付けた。 なお、初代女将は、「花はくれない柳はみどり」という、 自分の半生を綴った本を出版している。 左の建物は、和菓子の老舗千秋庵本家で、 創業は万延元年(1860年)とのこと。 秋田藩士であった初代が、 秋田(千秋公園)を偲んで千秋庵と屋号をつけた。 |
高橋掬太郎歌碑 |
護国神社坂にある高橋掬太郎歌碑。 昭和6年、函館日日新聞社時代に、 日本コロンビアレコードに投稿して採用された 「酒は涙か溜息か」が刻まれてある。 古賀政男作曲、藤山一郎が歌って大ヒットした曲である。 高橋掬太郎は、その後コロンビアレコード、 キングレコードの専属作詞家となり、約3千の作詞をしている。 「啼くな小鳩よ」、「並木の雨」、「ここに幸あり」、「高原の宿」、 「雨に咲く花」等々と多くの懐かしい名作を残している。 |
十字街駅 |
函館市豊川町にある函館市電(函館市企業局交通部)の十字街停留所だ。 市電の本線と、宝来・谷地頭線の乗り換え停留所となっている。 十字街停留所は大正2年の開業。 函館市電の前身は、明治30年に開業した亀函(きかん)馬車鉄道である。 |
十字街操車塔 昭和14年、十字街交差点に、交差点での電車信号現示とポイントの切り替えを、手動による遠隔操作するために建てられた操車塔。 平成7年まで使用されていたもので、現存する路面電車操車塔としては、国内最古といわれている。 |
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