紀行写真集
福山街道 20
函館市・十字街~末広町
Hitosh
坂本龍馬立像 北海道坂本龍馬記念館真向かいにある、平成22年に建立されたばかりの「蝦夷地の坂本龍馬像」 龍馬は、蝦夷地開拓へ何度か取り組んだが、一度も蝦夷地に足を踏み入れることなく、京都・近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺された。 |
北海道坂本龍馬記念館 |
龍馬は最初、元治元年(1864年)に幕府艦「黒龍丸」で 蝦夷地渡航の計画を立てていたが、 海軍操練所の塾生が池田屋事件に含まれていたことから、 師である勝海舟に迷惑がかかると思い断念。 次は、亀山社中創設後lに、薩摩藩・小松帯刀の尽力で 洋帆船「ワイルウェフ号」を購入し、この船で蝦夷行きを企画したが、 慶応2年暴風雨で沈没。 そして、大洲藩から借りた「いろは丸」で試みたが、 紀州藩船「明光丸」に衝突され沈没。 最後は、薩摩藩の保証で購入した洋型帆船「大極丸」で試みたが、 船の支払いの問題から運行出来なくなった。 と、ことごとく失敗してしまったようだ。 写真は北海道坂本龍馬記念館。 龍馬は、幕府解体により職を失う武士たちのエネルギーを 蝦夷地の防衛と開拓に向かわせようという計画を立てていた。 後年、この計画は明治政府に引き継がれ、屯田兵として実現。 蝦夷地開拓の思いは、龍馬の跡目を継いだ甥の坂本直、 坂本直寛等へと引き継がれていった。 記念館の中は、龍馬の生涯と彼が活躍した幕末に関する史料の他、 北海道開拓と坂本家系図や 坂本家の蝦夷地開拓との関わりなども紹介されている。 |
高田屋嘉兵衛通り |
函館末広町の高田屋嘉兵衛通り。 この建物の3階には、学徒援農資料館がある。 大地への献身、全国から集まってきた20万人の 若者達の記録と書かれてあった。 |
高田屋嘉兵衛資料館 |
箱館高田屋嘉兵衛資料館の前に、 高田屋嘉兵衛いついての詳しい説明板がある。 江戸時代末期の豪商、回漕業者、高田屋嘉兵衛は、 明和6年(1769年)に淡路島で生まれ、 28歳のとき、北前船「辰悦丸」で箱館(現函館)に来航、 以後、箱館を本拠地として北洋漁業の開拓、 本州各地との交易の発展に尽くした。 幕府は、その功績を認め、寛政12年(1800年)、嘉兵衛に苗字帯刀を許した。 当時の寒村であった箱館が港として発展できたのは 嘉兵衛の力によるところが大きかった。 等々、詳しく説明されてあった。 高田屋嘉兵衛資料館の建物は、 明治36年と大正12年に建てられたものだ。 |
金森赤レンガ倉庫裏口 |
函館赤レンガ倉庫群の南西端である。 この先が、函館港である。 |
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